トップ - もくじ - No.61〜80 - 個別の話62


風が吹けば桶屋が儲かる話




 仕事帰りにバーに寄ってグラスを傾けていたら、隣にスーツ姿の男が座った。同時にジンライムを頼んだのがきっかけとなり、なんとなく世間話が始まる。
 やがて酒がまわってくると、彼は「ふふっ」と笑って自慢げに言った。

「ところで俺はな、時間を自由に移動できるんだ」
「SFのタイムマシンみたいにか?」
「そうとも。過去も未来も思うがままさ」

 まあ、世の中いろんな人間がいる。超能力者も霊能力者もいるのだから、タイムトラベラーがいたって不思議はないが……。

 彼はその後も酒でますます舌が滑らかになり、現代に伝わる歴史の間違いを指摘したり、数年先の未来の様子を語ったりしてくれた(あまり先のことを詳しく語らないところを見ると、残念ながら地球の未来は明るくはないらしい)。
 それにしてもこの男、こんな内容をべらべら喋るし、過去や未来でずいぶんと遊んでいるようだ。過去で起こした行動が未来に思わぬ影響を与える――先祖を殺したら自分が消えるとかいう――タイムパラドックスとやらは大丈夫なのだろうか。

「別に気にしてないよ。だって、俺がこんな能力を持って生まれたのも神が定めたことだろ? とすれば、俺が時間を旅していろんな行動をするっていうのも予定調和に織り込み済みなんじゃないか? だいたい過去でハエを殺したり焼肉を食べたからって、何が起こるっていうんだ」
 こちらの指摘に対し、彼は気にするふうもなくあっさりと言った。
 ずいぶん楽天的な運命論だが、そういうものなのかなあ。自分に縁のない世界なので、その理屈が正しいのかどうかもよく判らない。

 なんにしろ、こんな荒唐無稽な話に付き合うには、酒が必要不可欠だ。キックのある強いやつを1、2杯ひっかけて、もうちょっと酔った方がいいのかもしれない。

 だがドライ・マティーニでもオーダーしようとバーテンのほうを見たとき、隣で「あれ?」という呟きが聞こえた。

 視線を向けた先で、男の姿が透けた――。
 と思うと、そのままふっと消え失せた。
 抜け殻になったスーツがくたくたと椅子に崩れ、腕時計がカウンターにかつんと落ちる。

 私とバーテンは顔を見合わせた。

 まさか……。

 食い逃げ?