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トップ - もくじ - No.21~40 - 個別の話32
梅雨に入ってから、友人の羽振りがずいぶんといい。ついこの間まで食うや食わずの暮らしで生活苦にあえいでいたのに、最近はバイクを買っただの焼肉をおごってやるだの、妙に金離れがいいのだ。 貧乏なのはこちらも同じだ。儲け話ならおすそ分けしてもらおうと思い、ある日そいつを捕まえて問いただした。 すると彼は隠すふうもなくあっさりと応えた。「実はいいバイトを見つけたんだ。月の掃除さ」「はあ?」 彼はきょとんとしたこちらの様子を見て、モップで床をこするような仕草をしてみせた。「ほら、今って梅雨だろ? じめついて月がカビてるから、そのカビを落として夏の星空用にぴかぴかに磨くわけだ。けっこう重労働だぜ」「どこでそんなの募集してたんだ?」「いや、別に、先々週ぐらいにアパートに来た求人チラシ見てさ。お前見なかったか? ムーンライトジョブ募集――って」 ……見たかもしれない。 夜の店でコンパニオンのお姉さんでも募集しているのかと思った。男の部屋にこんなもん入れやがって、とむっとして捨てた記憶がある。「で、採用されると1ヶ月分の予定表をくれるんだ。それに従って月に行って掃除に励む、と」 表を見せてもらうと、6月上旬から7月中旬にかけての曇りや雨で月が雲に隠れる時間、それに伴う作業開始時間が記されている。「あれ、今日は19時12分からって書いてあるぞ。もう時間じゃないのか」「おっ、そうか。じゃあ行かなきゃ」 彼は上着をひっつかんで立ち上がった。「上空は寒くてなあ」 一緒に外に出ると、先刻まで晴れていたのに、いつの間にか空いっぱいに重たげな雲が広がっていた。月はおろか星も見えないが、一箇所だけ雲が切れ、白い光の筋がアパート前に降りている。 彼がバイクを引き出してきて言った。「何日か頑張ったんだけど、チャリだとやっぱり大変でさあ。思い切って買ったんだ」 そして彼はバイクで光の道を昇って空の彼方に消えていった。 まだまだ訊きたいことはあったが、少なくともまあ、常識に囚われない奴じゃないと無理なバイトではある。自分には縁がない話だったか。 やがてぽつぽつ雨が降り始めたので、急いで夜道を自転車で帰った。