トップ - もくじ - No.121〜140 - 個別の話131 


往く年来る年




 遅い大掃除もやっと終わって一息つき、さあもう数時間で年越しだというときになって、年越しそばの手配をしていないことに気がついた。

 慌てて電話帳を繰って近場のそば屋に片っ端から電話してみたが、この時間帯ではすべて予約分で売切れだ。無理もない。
 味気ないけど、カップラーメン(そば)や弁当のそばで我慢するか……とコンビニに駆け込んだが――甘かった。
 棚にそば類は一切残っていなかった。

 うむむむむ。

 諦めきれずにかなり遠くまで足を伸ばしてコンビニをはしごして回ったが、ものの見事にそば類の棚だけすっからかんだ。考えることはみな一緒らしい。
 ふだん殺伐とした潤いのない生活を送っているので、せめて年越しくらいは清く正しく日本人らしく過ごしたかったのだが……。

 だめかなあ。
 しょせん俺の人生なんてそんなもんさ……。

 なんだかひどく寒い気持ちになってとぼとぼと歩いていたら、ふと一軒の蕎麦屋が目に止まった。
 閉店の札がかかっているが、だめもとだ。
 中に入ると、まさに修羅場の真っ最中だった。「次、8時半に安藤さんち五人前!」「出前まだ戻ってないか!」「ネギもっと切って!」「四丁目の坂本さんから催促の電話!」「今何時!?」
「あの……年越しそば……」
 恐る恐る言うと、どんぶりを抱えて歩いていた割烹着姿の女性が怒ったような口調で言った。
「悪いけど、もう予約でいっぱいだよ!」
「……はあ……」
 やっぱりだめか。

 だが肩を落として立ち去りかけたとき、店の主人らしき男性が厨房からひょいと顔を出した。

「おい、どんぶり早くしろ!」
 彼はしょぼくれた俺の姿に気付くと、これまた怒ったように言った。
「なんだい、そばか? いくつほしいの!」
「一つでいいんですが……」
「ちょっと待ちな!」
 すると主人は前掛けで手を拭き、おもむろに尻ポケットから携帯を取り出した。素早く短縮ダイヤルで電話をかけ、耳に当てる。

「おう、俺か!? 俺だ!」

 一呼吸置いて電話が繋がると、主人は怒鳴るように話し始めた。
「大将、景気よく年は明けたかい? で、ちょっと訊きたいんだけどよ。そばは売れ残んなかったか? おう――おっ、そんだけか。まあしょうがねえからな。上出来だ。おう、こちとらまだ大忙しよ! まあゆっくり休んでくれや! じゃあな」
 電話を切るなり、主人は厨房を覗き込んで怒鳴った。
「おい! 二人前包んでやんな!」
 少しして、主人は生そばと黒っぽい液体が入ったビニール袋が入ったポリ袋を持ってやって来た。無造作にこちらに差し出し、にやりと笑う。
「ほら兄ちゃん、持ってきな! 二人前くらい食えるだろ? だしは倍に薄めて温めりゃいいから」
「いいんですか……?」
「11時過ぎのドタキャンが二件あって、七人分余るんだと。うちらも食う分ができたよ。まあ年明けそばになるだろうけどな!」
 主人は豪快に笑って言った。
「お代はサービスしてやるからさ。これ食って、いい年を迎えろや!」
「は、はい。ありがとうございます!」
 こちらが頭を下げるのも見ずに、主人は厨房へと戻っていった。「あっ、馬鹿。ネギでかすぎだよ! そっちは山本さんの分か? じゃあ早く届けてきな……」

 狐につままれたような気分ながら、店を出て急いで家路についた。
 何はともあれ、これでどうにか人並みに年が越せる。

 家に戻ってから、すぐに湯を沸かしてそばを茹でた。どんぶりにそばを入れてから、水を足して火にかけただし汁を張る。最後に刻んだあさつきとかまぼこを添えて、年越しそばが完成した。
 そば片手にこたつに入り、七味をふってから一口汁をすする。しみじみとした温かさが、全身にじわりと広がった。
 遠く除夜の鐘が響き始める。

 今年も、終わり、だなあ。

 誰もいない部屋の中で、誰にともなくそっと呟いた。

「よいお年を……」