飲み屋で会計を済ませたあと、車の鍵が付いたキーホルダーを指先でくるくる回していたら、店の主人が見咎めて声をかけてきた。
「お客さん、まさか車でお帰りですか」 「んー。まあーねえー」 「いけませんよ。今は規制だって厳しいんですから」 「だぁいじょうぶらって……」
と、応えたところで記憶が途切れた。
気が付くと、駅前のホテルの一室だった。 いつの間にチェックインしたのだろう。まったく憶えがないのでフロントで聞くと、夜中に自分で来て一泊朝食付きで申し込んだとのこと。 納得はいかないが、のたくるような字で書き込まれた宿泊者カードまで見せられては、文句も言えない。しかたなく代金を払って、車を置いておいた駐車場に行くと、これまた一泊分の料金を請求された。思わぬ出費だ。痛いなあ。
週明け、出勤して同僚にその話をした。すると同僚は「ひょっとして、つりがね通りの端っこの飲み屋だったか」と言いだした。 「よく判ったな」 「会計、いくらだったか判るか?」 財布を見ると、レシートが出てきた。 「ええと、4264円だな」 「4か……おおい、あの飲み屋でやられたってさ」 同僚は別の一人に声をかけた。すると、すぐさまそいつはファイルから抜き出した一枚の紙を持ってやって来た。 紙は、0〜9までの数字が書き込まれた表だった。
0……振り出しに戻る 1……自宅送還(代行) 2……自宅送還(タクシー)+駐車場代 3……ご宿泊(ビジネスホテル) 4……? 5……車中泊+キー紛失 6……車中泊+駐禁 7……ネズミ捕り 8……物損事故+ブタ箱 9……?
「おっ、ついに4が埋まるぞ」 「ホテルロワイヤルっつってたよな……。だったら、シティホテルか」 二人は表を覗き込み、4のところの「?」を消して「ご宿泊(シティホテル)」と書き込んだ。 「なんだ、これ」 「あの店で飲んで、飲酒運転で帰ろうとすると必ず失敗するんだよ」 同僚は言った。
彼の話によると、この店で飲んだときの“被害”があまりに続く上に、どうも降りかかる災難に何か法則があるようだと、あるとき“被害者”の一人が気付いた。さらに調べてみたら、飲み代の末尾一桁が関係していることが判明したのだという。 それで、みんなで協力してまとめた表がこれなのだとか。
「お前はまだ運が良かったよ。7と8だと、最低でも酒気帯びで罰金20万以上コースだ」 「……こっちの“車中泊”っていうのは、車の中で目が覚めるってことか?」 「ああ。しかも絶対9時過ぎまで爆睡するんだ。そのあと、鍵探しに奔走した挙句に合鍵作る羽目になるか、警察沙汰だろ。休みの前の日じゃなきゃ、大遅刻間違いなしってわけだ」 「0の振り出しに戻るって?」 「これは……よく判らないんだけど」
体験者の話では、飲むつもりで行ったのに、なぜか店の人が酒を出してくれないのだという。 しかも、後になって調べると、財布にはレシートが2枚入っている。
「で、そのうちの1枚、憶えてないほうのレシートの末尾が0なのさ。もちろんその分の金もなくなってる」 「……それって、おかしくないか」 「おかしいよ。けどさ。あの店、酒も肴もめちゃくちゃ旨いんだよなあ」
……確かに。 酒だけにしても希少銘柄や有名蔵元の限定醸造といった、なかなか飲めない銘酒がずらりとあって、しかも驚くほど安い。あの日もちょいと一杯引っかけるだけのつもりだったのに、つい飲みすぎてしまった。 実は、今日か明日あたり、また行こうと思っていたのだが……。
「ま、飲酒運転はするほうが悪いんだし、飲んだら乗るなってことだ」 「だな。しかしこの流れだと、9ってやばそうだな……」 「ああ。行方不明になるって噂もある。その前の日、ここで見かけた――ってな」 「……」
だがけっきょく、その日も酒の誘惑に負けて同僚たちと一緒に例の店に行ってしまった。 店に入ると、主人と目が合った。 気まずくなりながらも、会釈して「帰るとき、代行頼みたいんですが……」と言うと、主人はにやりと笑った。傍らの名刺ケースの中から、表にタクシー業者の、裏に運転代行業者のリストが載ったカードを、人数ぶん取り出してこちらに差し出す。 渡されたカードを眺めながら思った。 うん。やっぱりこっちのほうが、金はかかっても気は楽だよな……。
それから、俺たちは鮎の塩焼きや豆腐ようをつつきながら、泡盛古酒三十年ものを心おきなく堪能した。 しかる後に、それぞれ代行を頼んで家に帰った。
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