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神秘の山




 昨今のトレッキングブームに乗って、なんとなく登山靴を買ってしまった。せっかくなので山に登ることにしたが、なにぶん初心者だ。入門ガイドをチェックして、まずは1000メートルくらいの手頃な山に挑戦することにした。

 登山前日に山好きの友人とたまたま会ったので、その話をした。
「明日、南鹿釣山に登るんだ」
 友人はちょっと首を傾げて言った。
「そうか。あそこはけっこう気難しいところがあるからなあ。とりあえず頑張れよ」
 そんなことは本には書いていなかったが……。
 彼の言葉が引っかかったが、仕事の休みの関係もあるので計画は変更できない。翌朝早くに家を出て、登山者カードに記入して登り始めた。

 幸い、天気は爽やかな快晴だった。整備された登山道は歩きやすく、特に急すぎるわけでもない。中高年や家族連れの登山者もたくさんおり、山頂付近の湿地帯の花畑は綺麗で素晴らしかった。
 この山のどこが難しいというのだろう。多分、友人は山を間違えたに違いない。

 だが下山し始めたとき、地鳴りのような声が響いた。

『かゆいかゆい! なんでこんなにいっぱい来るんだ! か〜ゆ〜い〜!』

 そして突然上空に暗雲が広がったかと思うと、土砂降りの雨が降ってきた。滝のような凄まじい大雨で、登山道はあっという間に泥の川と化す。
 大粒の雨がたたきつける中、何度も転びながら下る羽目になってしまった。

「いや、ひどい目に遭ったよ……」
 帰ってから山好きの友人に報告すると、彼は言った。
「だから気難しいって言ったろ? あの山は保水力が弱くて乾燥肌だから、たくさん人が歩くと痒いらしくてな。天気がいい日は特に駄目で、雲をかき集めて急に大雨を降らすんだ。まあそれで頂上付近のくぼ地だけ潤って、花畑ができてるんだけどな」
「乾燥肌って、人じゃあるまいし」
「山は生き物だぞ。活火山ほどじゃないけど、それなりに活発な奴もいるんだよ」

 なんだか微妙に納得できないが……。

 まあ、それだけ登山は奥が深いということなのかもしれない。
 以来、山に登るときは本だけでなく、ベテラン登山者の忠告も聞くようにしている。