トップ - もくじ - No.41〜60 - 個別の話54


妖女奇譚(ようじょきたん)




 同じアパートにメデュウサが引っ越してきた。

 例の人間妖怪相互協定のお陰で、こうして妖怪が街に住むのも珍しくないご時勢なのだ。
 サングラスをかけて挨拶に来たメデュウサは、素晴らしい金髪の美人だった。別に伝説のように髪が蛇というわけでもない。
「今度遊びに来てください」
 彼女は菓子折りを礼儀正しく差し出し、愛想よく言って去っていった。

 とは言えメデュウサなのだから、ご他聞に漏れず石化能力を持っているのは間違いない。
 最初はちょっと怖くて遠慮していたが、しばらく経っても近所で犠牲者が出たという話も聞かない。ある日思い切って遊びに行ってみた。

「こんにちは……」

 だが彼女がドアを開けてくれたとたん後悔した。
 玄関に怪しげな石像が五体ほど鎮座ましましていたのだ。

「あらいらっしゃい、どうぞ」
 硬直する私をよそに、彼女は快く迎え入れてくれた。お菓子やコーヒーも出してくれて、「やっぱり街は便利よね。もっと早く来ればよかったわ」などと気さくにいろいろ話しかけてくる。
 室内には趣味のいいインテリアが配置され、石像は一つもない。異様な雰囲気なのは玄関だけだ。彼女の機嫌がよさそうだったこともあり、それなりに話も盛り上がってきたときに思い切って尋ねてみた。

「玄関の石像ってやっぱり……?」
「あっ、そうなのよ。ちょっと訊きたかったんだけど」
 そう言って、彼女は背後の棚から長方形のクッキーの缶を取り出した。
 中には英語教材や羽毛布団のパンフレット、洗剤、組みひも、文房具セットなどが入っている。

「急に訪ねてきて、買ってほしいって言われたんだけど……。いらない時ってどうすればいいの?」
 彼女は困りきった様子で言った。
「ずっと大きな声で騒ぐんだもの。近所迷惑じゃない。“買うまで絶対帰らない”って言うから、とりあえず静かにしてもらってるんだけど……。やっぱり買わないとだめなの?」
「ああ……」
 訪問販売は気にせず強気で追い返せばいいんですよ、と教えると、彼女はほっとしたようだった。
「じゃあちょっと待ってて。帰ってもらってくる」と玄関のほうに行く。

 やがて数人分の男性の悲鳴と、「もうしません」「ごめんなさい」「許して」などと情けない声が聞こえ、ばたばたと足音が遠ざかっていった。

「本当に助かったわ。これからもいろいろ教えてね」
 彼女には感謝されたが……。

 やっぱり普通に見えても妖怪って強いんだなあ。
 怒らせないように注意しよ……。

 しかし今回の一件は、業者ネットワークに広く知れ渡ったらしい。
 あれ以来、アパートには訪問販売がほとんど来なくなった。

 今や彼女は近所でもちょっとした人気者だ。
 時折ふるさとのギリシャ料理の講習会を開いたりして、すっかり地域社会に溶け込んでいる。