ある日、なじみの飲み屋にいつものように立ち寄ったら、店内に張り紙がしてあった。
『年内で閉店いたします。長い間ありがとうございました』
「えっ。そんな急に。なんで?」 年内と言ったら、もうすぐではないか。値段は安いしつまみもいける。仕事帰りに一杯ひっかけるには最適の店だったのだ。 閉店理由を尋ねても、主人は言い渋ってなかなか教えてくれようとしない。だがしつこく問うと、やがて重い口を開いた。
「……実はね、うちで出してる豚足の」
うん。ここの豚足は旨い。 ゼラチン質の豚足を醤油ダレで箸でほぐれるほどに柔らかく煮込んである。かなり甘口でこってりしているが、一度食べると妙にクセになる味なのだ。
「味付けにサッカリンとズルチンとチクロと阿片使ってるのが警察にばれちゃって」 「えっ……」
「あの豚足は、ズルチンのしつっこい甘さとサッカリンの強烈な甘みが決め手なんだけどねえ。阿片だって、あれこそ旨味調味料ってもんだ。あとモツ煮込みの材料が」
そうそう。モツ煮込みも最高だ。 他の店では食べられない、独特の風味と食感なのだ。
「人間の臓物だってことが保健所にばれちゃって」 「えっ……」
「あと肝和えとタタキとハラミ串とカマ焼きも」 「人間……?」 「いや、こっちはパンダとアムールトラとキリンとジュゴン」 「えっ……」
それは確かにやばいかもしれない。なんとか条約に引っ掛かりそうだ。いやそういう問題でもないか。 主人は深々とため息をついた。
「まあ今回は見逃してもらえたんだけど、これからも同じの出したら逮捕するって言われてさ。エチゼンクラゲのイカそうめんは大丈夫らしいけど、それだけじゃあねえ」 「エっ……」
クラゲで作ってるんじゃ、“イカそうめん”とは言わないのでは……。 次々に明かされる事実に茫然とする私をよそに、主人は背後の棚から果実酒の瓶を取ってカウンターに置いた。
「なんにしても、最後だからサービスするよ。とっておきの人面瘡酒なんてどうだい?」 「えっ……」
もとは透明なホワイトリカーで漬けたであろう酒は、年月を経て熟成し、すっかり色が変わっている。 その飴色の液体の中に、握りこぶしほどの大きさをした人面瘡が四つ沈んでいた。一見すると小型のデスマスクだが、時折口から泡が漏れて水面に昇っていく。そう、こいつはまだ生きているのだ。 祝福されざる生命たる人面瘡ならではのしぶとさ。まさに“奇妙な果実”酒だ。
「いいんですか! いや、ずっと気になってたんですよ。いただきます」
やった。 よもやこいつを飲める日が来ようとは。
「はいよ。かなりキックが強いから気をつけてな。つまみはどうするね?」 「もちろん、豚足とモツ煮込みで!」 「はいよ」
「く〜! 効くなあ。五臓六腑にしみわたるよ。モツもうまいねえ」
まったく、こんないい店なのにもったいない。 警察も保健所も、くだらないことに目くじらをたてて……。
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