私には行きつけの喫茶店がある。 その店には山ほどレコードがあって毎日違う曲がかかっているのだが、そのセンスがとてもいいのだ。
「こんなにいっぱいある中からどうやって一枚選んでるんですか」
ある日、マスターに雑談ついでに訊いてみた。 するとマスターはいつものように自家焙煎の豆を挽いた珈琲を丁寧にドリップしながら、店の奥にあるプレーヤーを示して言った。
「あいつが勝手に選ぶんです。湿気の具合とか、お客さんの様子を見てね。親父の代から使ってるから、あいつの方がもう音楽には詳しいので任せてますよ」
そんな冗談で返されるとは思わなかったが、なかなかうまい切り返しだ。 しとしと降る雨を窓越しに眺め、レイ・ブライアントトリオのナンバーなぞ聴きながら楽しむ珈琲の味は格別だった。
ところが次に店に行くと、雰囲気が一変していた。
8ビートのロックががんがん流れ、風情も何もあったものではない。
マスターを捕まえて問いただすと、プレーヤーが壊れてしまって買い替えたのだという。 「新しいのはどうもロック好きらしくて。今までずっとプレーヤーに任せきりだったから、何を選んでいいか判らなくてねえ。まあBGMなんて、流れてればいいから、適当に選ばせてるんですよ」
どうやらこのマスター、音楽には珈琲に対するほどのこだわりはないらしい……。
ギンギンのロックが終わるとアゲアゲのハウスを挟んで、ノリノリのヒップホップが流れ始めた。だみ声のラッパーが韻を踏んで語呂合わせでたたみかける詞が気になって、読んでいる本の内容がちっとも頭に入ってこない。 珈琲は相変わらず旨かったが、こんな環境ではとてもゆっくりできない。 早々に会計を済ませて店を後にした。
気に入ってたのになあ。
それきり、あの喫茶店には行っていない。 |